「もう、廃業しかないかな」
愛知県で部品メーカーを30年以上経営してきた60代の社長から、そんな言葉が出てきました。後継者はいない。従業員は20人以上いる。廃業したら全員路頭に迷わせてしまう——そんな葛藤の中で、毎晩眠れない夜を過ごしていたそうです。
でも話の続きを聞いて、思わず「すごい決断でしたね」と言いました。その社長、M&Aで会社を3億円で売却していたんです。
廃業なら0円、M&Aなら3億円
中小企業の廃業は、想像以上に「損な選択」です。機械設備、在庫、ブランド、取引先との関係——これらは清算してしまえばほとんど価値が残りません。長年積み上げたものが「ほぼゼロ」で終わることも珍しくないんです。
一方でM&Aなら、会社そのものに「のれん」という価値がつきます。取引先・従業員・技術力・収益性を「まるごと買いたい」という買い手が見つかれば、廃業とは比べ物にならない対価を得られます。
この社長の場合、売却額は3億円。廃業していたら手元に残っていたのはその何分の一、あるいはゼロだったかもしれません。
成約まで約6ヶ月、流れはこうなっている
「M&Aって大企業のものでしょ?」と思われる方も多いのですが、中小企業のM&Aは近年急増しています。売上が数億〜数十億規模でも、買い手候補が見つかるケースが増えているんです。
この社長は知人の紹介でM&A仲介会社に相談し、成約まで約6ヶ月かかりました。決して短くはありませんが、「廃業の手続きに1〜2年かかる」ことを考えると、それほど長くもありません。
大まかな流れはこんなイメージです。
- 相談・査定:仲介会社に連絡し、企業価値の概算を出してもらう
- マッチング:買い手候補と秘密保持契約を結んだうえで交渉開始
- デューデリジェンス:買い手が財務・法務・税務を精査する期間
- 最終契約・クロージング:条件確定後、株式や資産を移転
この6ヶ月、社長は通常の経営を続けながら並行して手続きを進めました。仲介会社がサポートしてくれるので、M&Aの専門知識がなくても進められます。
節税の核心は「役員退職金の設計」
売却で受け取った3億円が全額手元に残るわけではありません。当然、税金がかかります。でもここに、合法的に税負担を下げる設計があります。それが役員退職金です。
M&Aの株式譲渡益には約20%の税率が適用されます。もともと比較的低い水準ですが、さらに組み合わせることで実質的な手残りを増やせる方法があります。
M&A成立のタイミングで会社から社長に役員退職金を支払う設計をすると、次の2つのメリットが生まれます。
- 会社側:退職金は損金に算入でき、法人税の課税所得が下がる
- 個人側:退職所得控除が使えるため、所得税・住民税の実効税率が低くなる
この社長のケースでは功績倍率2.5倍で退職金を設定しました。功績倍率とは「最終月額報酬 × 在籍年数 × 功績倍率」で退職金額を算出する方式です。税務上の合理性が認められる範囲で設定することで、受け取れる退職金の額が大きくなります。
ただし、功績倍率の設定には注意が必要です。税務調査で「不当に高い」と判断されれば、超過部分は損金として認められないリスクがあります。必ず税理士と事前に相談しながら、適切な水準を決めることが大前提です。
「従業員を守れた」という安堵感
この社長が最後に言っていたのは、「廃業じゃなくて本当によかった」という言葉でした。
廃業なら全員解雇せざるを得ない。でも会社ごと売却することで、従業員20人以上の雇用がそのまま守られました。買い手が事業を継続する前提でM&Aをするわけですから、従業員は引き続き働き続けられます。
お金だけでなく、「長年一緒に働いてきた人たちを路頭に迷わせずに済んだ」という安堵感が、この社長にとっては何より大きかったのかもしれません。
「まだ早い」はない
後継者問題は、60代になって突然考えるよりも、50代のうちから選択肢を広げておく方が圧倒的に有利です。準備期間が長いほど、企業価値を高める施策を打てますし、買い手とじっくり交渉できます。
「まだうちには早い」と思っているなら、まず一度だけでもM&A仲介会社や顧問税理士に相談してみてください。売却を決める必要はありません。「自社の価値がいくらか」を知っておくだけで、経営の選択肢が大きく広がります。
廃業を考える前に、まず「売れるかどうか」を確かめてみてください。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。