先日、ある製造業の社長からこんな話を聞きました。
「税理士に相談して退職金を計上したのに、税務調査で全額否認されたんだよ」
思わず絶句しました。20年間、工場を切り盛りしてきた方が、引退の直前にこんな仕打ちを受けるとは。追徴課税の金額は1,100万円超。退職金を「節税の切り札」として計画していた方にとって、これは本当に痛い現実です。
退職金3,200万円が「全額否認」されるまで
田中社長(仮名)は、月額報酬50万円で20年間在任した製造業の経営者です。
引退を機に退職金を計算したところ、「月額報酬50万円 × 在任年数20年 × 功績倍率3.2倍」で3,200万円という数字になりました。計算式自体は業界でよく使われるもので、税理士にも確認済み。議事録を形式的に整えて、定時株主総会で決議もしました。
それなのに、翌年の税務調査で「この退職金は過大だ」と全額否認されたのです。
功績倍率に「上限」はないけれど、「根拠」は必要
役員退職金の計算に使う功績倍率には、法律で定められた上限はありません。理論上は何倍に設定しても自由です。
ただし、税務署の判断基準は「同業他社と比較して妥当か」というものです。功績倍率が3倍を超えると、税務署が特に目を向けるゾーンに入ります。3倍超でも認められるケースはありますが、その場合は「なぜこの倍率が妥当なのか」を客観的な資料で証明できなければなりません。
田中社長の問題は、この「証明」の部分が致命的に弱かったことです。
形式的な議事録では守れない
税務調査官が議事録を確認したとき、そこに書かれていたのは「退職金3,200万円を支給することを決議した」という一文だけでした。
功績の根拠が、どこにもなかったのです。
たとえば、売上の推移を示す資料、新規取引先の開拓実績、工場の生産効率への貢献度、不況期をどう乗り越えたか——そういった「田中社長だからこそ会社がここまで成長した」という証拠が何も整備されていませんでした。
税務署は当然の疑問を持ちます。「月50万円の報酬をもらっていた人が、なぜ3,200万円の退職金に相当するほどの功績があったのか?」この問いに答えられなければ、否認は覚悟しなければなりません。
退職金を守るための3つの準備
田中社長のような後悔をしないために、引退前から整えておきたいポイントが3つあります。
①功績倍率の妥当性を同業他社と比較する
自社の功績倍率が同業他社の水準から大きく逸脱していないか確認することが出発点です。比較資料は税理士に依頼すれば作成できますが、早めに着手しておくことが大切です。
②在任中の功績を「見える化」する書類を積み上げる
業績推移のグラフ、取引先一覧の変化、市場シェアの拡大——こうした資料を在任中から積み重ねておくことが、後々の証拠になります。退職直前に慌てて作成しても「後付け」と見なされるリスクがあります。
③議事録に「なぜその倍率か」を書く
「退職金3,200万円を支給する」ではなく、「在任20年間における○○の功績を評価し、同業他社水準および業績への貢献度を勘案した結果、功績倍率3.2倍が適切と判断した」という記載にする。これだけで、議事録の証拠力はまったく違ってきます。
出口戦略は、引退の数年前から始める
「退職金の準備は引退を決めてから」と思っている社長は少なくありません。でも現実には、功績の証拠書類を整えるにも、役員報酬の水準を見直すにも、ある程度の時間が必要です。
「そろそろ引退を考えている」と思い始めた段階で、一度、専門の税理士に相談することをおすすめします。早めに動くだけで、20年間の頑張りが税務調査で覆されるリスクを大幅に減らすことができます。
田中社長のケースは、決して他人事ではありません。今期の決算で退職金を検討しているなら、まず議事録と功績資料の状態を確認するところから始めてみてください。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。