先日、ある製造業の社長から「もっと早く相談しておけばよかった」と肩を落としながら話を聞く機会がありました。30年かけて育てた会社を退任し、老後の生活を支えるはずだった退職金が、税務調査で全額否認されてしまったというのです。
その内容があまりにも典型的な失敗パターンだったので、今日はそのお話をシェアします。
月100万円×30年×5倍=1億5,000万円の設計
その社長は20代で会社を立ち上げ、製造業の現場を30年間走り続けてきました。60歳で引退を決意し、退職金の計算式を組んだのは退任の少し前のこと。
「最終月額報酬100万円 × 勤続30年 × 功績倍率5倍 = 1億5,000万円」。計算上は何の問題もなさそうに見えました。30年間休まず経営してきたのだから、功績倍率5倍は当然の評価だろう——そう思っていたそうです。
当時の顧問税理士にも確認したといいますが、詳細なリスクの説明はなかった。そのまま株主総会で決議し、退職金を受け取りました。
翌年、税務調査官が功績倍率を問いただした
退任の翌年、会社に税務調査が入ります。調査官が最初に手をつけたのは、退職金の計算根拠でした。
「功績倍率5倍とした理由を教えてください」
会社側は「30年間の献身的な経営」「売上を10倍に伸ばした実績」などを説明しましたが、調査官の表情は変わりません。数週間後に届いた回答は厳しいものでした。「同業他社の水準を大幅に超える。功績倍率5倍は過大と認定する」——退職金1億5,000万円の全額が損金として認められないという通告でした。
法人と個人、両方に追徴というダブルパンチ
ここからが本当に怖い話です。
退職金が「過大」と否認されると、まず会社側に法人税の追徴が発生します。損金算入を前提に計算していた税金が、すべて追徴される形になります。1.5億円を損金に落とすつもりが、それが認められないわけですから、法人の税負担は一気に跳ね上がります。
さらに、社長個人にも問題が波及しました。本来、退職金は「退職所得」として課税されます。勤続年数に応じた退職所得控除が使えて、税負担が大幅に軽くなる——退職金の大きな魅力はここにあります。
しかし否認された部分は「給与所得」として再課税されることになります。退職所得控除は使えず、累進税率の高い給与所得として追徴課税。法人側の追徴と個人側の追徴が重なり、想定をはるかに超える追加負担が発生しました。
功績倍率に「上限」はないが、目安は2〜3倍
役員退職金は一般的に「最終月額報酬 × 勤続年数 × 功績倍率」で計算します。法律上、功績倍率に明確な上限はありません。しかし税務調査では、「同業他社と比較して相当かどうか」が判断のものさしになります。
国税庁が参考にしている裁判例や調査事例を見ると、代表取締役でも2〜3倍が実務上の目安とされています。3倍を超えると否認リスクが高まり、5倍ともなると「明らかに過大」と判定されるケースが多い。30年の実績があっても、その数字自体が問題になりました。
設計で押さえておくべき3つのポイント
この事例を踏まえると、退職金を設計する際には次の点を必ず確認してほしいと思います。
功績倍率は同業他社の水準を調べておくこと。業界団体の統計や類似規模・業種の事例を収集し、根拠資料として手元に残しておきます。「社長の頑張りを評価した」という主観的な説明だけでは、税務調査には耐えられません。
計算根拠を社内文書で明文化すること。株主総会や取締役会の議事録に「なぜこの功績倍率にしたか」を具体的に記録します。口頭での説明は証拠になりません。
退任の2〜3年前から設計を始めること。根拠資料の整備、株主総会での決議、必要に応じた退職慰労金規程の整備——いずれも時間がかかります。退任直前の駆け込み設計は根拠が薄くなりがちで、調査リスクが上がります。
30年の功績を最後に守るために
退職金は、長年の経営努力に対する正当な報酬です。ただし「頑張ってきたから高くて当然」という感覚だけで設計すると、今回の社長のように、最後の最後で手痛い結果になることがあります。
まだ退職金規程を整備していない、あるいは功績倍率の水準を確認したことがないという場合は、早めに専門家に相談することをおすすめします。引退が数年先であっても、今のうちから設計を始めておくことが、最も確実なリスク対策です。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。