先日、後継者への事業承継を終えた元社長から、こんな話を聞きました。
「65歳で引退したんですが、引退後の手取りが現役時代より良くなったんですよ」
最初は冗談かと思いました。でも話を聞いていくと、これは笑い話ではなく、5年以上かけて計画的に積み上げてきた節税設計の結果でした。
引退は「イベント」ではなく「プロセス」
多くの社長が、引退をある日突然訪れるイベントのように捉えています。でも実際には、引退時の手取りは「引退の5年〜10年前」からほぼ決まっています。
田中社長(仮名・65歳)が実践してきた準備は、大きく3つに分けられます。順番に見ていきましょう。
ステップ1:役員退職金の「受け取り方」を設計する
最初にして、最もインパクトが大きかったのが役員退職金の設計です。
田中社長は創業から35年、会社を引っ張ってきました。この勤続年数が税務上の重要なポイントで、退職所得控除は計算上、約1,850万円になります。
退職金にかかる税金の仕組みは少し独特で、受け取った金額から退職所得控除を引いた残額の、さらに1/2だけが課税対象になります。同じ金額を受け取るにしても、毎月の役員報酬として受け取るより、退職金としてまとめて受け取った方が、多くのケースで手残りが大きくなります。
大事なのは「いくら積み上げておくか」と「いつ受け取るか」の設計です。退職金規程の整備も含め、税理士と早めに設計しておくことが鍵になります。
ステップ2:自社株を「一括ではなく段階的に」渡す
次に取り組んだのが、自社株の承継です。
後継者の息子さんに株式をそのまま一括で渡そうとすると、株価によっては億単位の贈与税・相続税が発生することがあります。田中社長が選んだのは、引退の5年前から段階的に株を移転していく方法です。
さらに事業承継税制を活用することで、贈与税の納税猶予も受けられました。一定の条件を満たし続ければ、猶予が免除になるケースもあります。
「一括でドンと渡す」より「計画的にじわじわ移す」。この違いが、数千万円規模の税負担の差につながることもあります。ただし適用要件が細かく、計画ミスが後々のリスクになるため、専門家との連携が前提です。
ステップ3:生前贈与を「コツコツ」続ける
3つ目は地味ですが、実は最も確実な手段です。
年間110万円の基礎控除の範囲内であれば、贈与税はかかりません。田中社長はこれを10年以上、継続的に実行していました。10年間で1,100万円、15年続ければ1,650万円が相続財産を減らしながら次世代に移ります。
ひとつ注意が必要なのは、2024年以降のルール変更です。相続前7年以内の贈与は相続財産に加算される制度に改正されました。これまで「3年以内」だった期間が延長されたことで、早く始めることの重要性がさらに増しています。
「準備した人」だけが恩恵を受ける
田中社長が引退後の手取りを最大化できたのは、運が良かったからではありません。5〜10年前から専門家と連携し、一つひとつ丁寧に積み上げてきた結果です。
「引退なんてまだ先の話」と思っている社長ほど、いざ動こうとした時には手遅れになっているケースが少なくありません。退職金規程の整備、株式の評価と移転計画、贈与の記録——どれも時間がかかるものばかりです。
もし事業承継や引退後の資産設計について、まだ具体的に動き出していないなら、来期の計画を立てる前に、一度税理士に相談することをおすすめします。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。