先日、製造業を長年経営されてきたある社長から、こんな話を聞きました。「退職金で1億円もらったはずなのに、気づいたら3年で半分になっていた」と。
笑い話ではなく、実際に起きた話です。そしてよく聞いてみると、「自分もやりかねない」という判断の連続だったことがわかりました。
退職金1億円で「第二の人生」を踏み出した社長
製造業を30年間経営してきたA社長は、2021年に息子さんへの事業承継を機に、役員退職金として1億円を受け取りました。
役員退職金には退職所得控除という大きな税優遇があります。勤続年数20年以上なら「800万円+70万円×(勤続年数-20年)」の控除額を差し引いた上で、残額の半分にしか課税されません。A社長の場合、30年の勤続があったので控除だけで1,500万円超。税引き後でも9,000万円近くが手元に残りました。
「ここまで頑張ってきた甲斐があった」と、清々しい気持ちで第二の人生を踏み出したそうです。
「増やそう」という判断が分岐点だった
退職後の生活費は年金と少しの預貯金でまかなえる見通し。だから退職金は「老後のための積極運用」に回そうと決めたそうです。
選んだのは高配当株とFXでした。30年間の経営で培った判断力と相場感があれば自分でもできると思っていた。最初の1年は順調で、配当金も入ってきて「これならいける」という手応えもあったと言います。
ところが2022年、米国の急速な利上げをきっかけに市場が荒れ始めます。
高配当株は軒並み下落し、FXのポジションも含み損を抱えることになりました。「いずれ戻る」という判断で損切りを先送りにするうちに、傷口はどんどん広がっていきました。損を確定する心理的なつらさは、経営者も個人投資家も変わりません。
3年後、A社長の手元に残ったのは約5,000万円でした。
問題の本質は「受け取り後の設計がなかった」こと
A社長の失敗を「運用判断のミス」で片付けることもできます。でも、それは表面だけの話です。
もっと根本的な問題は、1億円を受け取る前に「その後どう使うか」を具体的に設計していなかったことでした。退職所得控除の活用や受け取り時の税務対策はきちんとやっていたのに、受け取った後のキャッシュの使い道は完全にノープランだった。
退職金は、経営者にとって「最後の大きな報酬」です。毎月のキャッシュフローとは違い、一度手にしたら基本的に補充できない、取り崩し型の資金です。だからこそ、「増やすこと」より先に「守ること」の設計が必要なのです。
退職金を守るための3つの設計軸
退職金を受け取る前に、少なくとも次の3点は整理しておきたいところです。
まず流動性の確保です。当面の生活費と突発的な出費のために、2〜3年分のキャッシュは安全な預金や短期債券に置いておく。これが守りの基盤になります。
次にリスク許容度の確認です。「老後資金として絶対に守る資産」と「多少のリスクを取れる資産」を明確に分ける。全額を運用に回すと、下落局面での心理的プレッシャーが判断を狂わせます。A社長がまさにそのケースでした。
そして出口戦略の事前設計です。どの資産をいつ、何のために取り崩すか。何年後にいくら手元に残したいか。この「ゴール設定」がないまま運用すると、「もう少し待てば戻るかも」という判断を繰り返してしまいます。
出口戦略は「受け取る前」に専門家と設計する
こうした設計は、退職金を受け取った後ではなく、受け取る2〜3年前から始めるのが理想です。
金額が確定してから考え始めると、心理的に「増やしたい」という気持ちが先に立ちやすくなります。まだ受け取る前の段階で、冷静に「この資金をどう設計するか」を顧問税理士やFPと一緒に考えておくことが、A社長のような後悔を防ぐ一番の方法です。
節税できたことに満足して終わりにするのではなく、「もらい方」と「使い方」をセットで設計する。それが退職金を本当に活かすということだと思います。
事業承継を数年後に控えているなら、受け取り時の節税対策と同時に、出口戦略の相談も今のうちに始めておくことをおすすめします。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。