先日、ある製造業の後継者の方からこんな言葉を聞きました。

「父が一生かけて育てた会社なのに、継いだとたんに銀行の借金を背負うことになりました」

その方の父親は、愛知県で製造業を営んでいた70代の社長さんでした。20年かけて地道に育ててきた優良企業で、売上は10年で3倍に成長。取引先からの信頼も厚く、業界内では知名度のある会社です。傍から見れば、「良い会社の承継」のはずでした。

ところが実際には、相続税として1億2000万円という想定外の請求書が届いたのです。

業績が上がるほど、相続税のリスクも高まる

非上場株式の評価額は、会社の業績に連動します。業績が上がれば株価の評価額が上がり、評価額が上がれば相続税も増える。仕組みとしては至ってシンプルです。

問題は、非上場株式は市場で換金できないにもかかわらず、帳簿上の評価額で課税されるという点です。現金化できない資産に対して、億単位の現金を用意しなければならない。これが「自社株相続の罠」です。

田中社長(仮名)のご遺族も、まさにこのケースでした。会社の現金では到底払えず、息子さんは銀行からの借入で何とか乗り切りましたが、返済負担で経営が一気に苦しくなりました。業績好調のはずの会社が、承継した瞬間から資金繰りに追われることになったのです。

生前にできたこと:役員退職金による株価の引き下げ

後から分かったことですが、田中社長が生前に役員退職金を受け取っていれば、状況は大きく変わっていた可能性があります。

役員退職金は会社の損金として計上できます。損金が増えれば利益が減り、純資産評価額が下がり、その結果として自社株の評価額も下がります。合法的に、しかも会社の実質的な価値を毀損せずに、株価の評価額を引き下げることができるのです。

数字で考えてみましょう。仮に純資産が5億円の会社で、社長が2億円の退職金を受け取った場合、退職金支払い後の純資産は3億円まで下がります。株価の評価はもう少し複雑な計算式を使いますが、純資産が圧縮されることで評価額が大きく下がることは確かです。相続税が数千万円単位で変わってくるケースも少なくありません。

「退職金を払えばいい」というほど単純ではない

ただし、役員退職金には守るべきルールがあります。

退職金が「不相当に高額」と税務署に判断されると、超過分は損金として認められません。税務上の適正額は一般的に「最終月額報酬 × 在任年数 × 功績倍率(概ね0.5〜3.0)」で計算されることが多く、この範囲内で設計することが求められます。

また、退職金を支払った後も会社の資金繰りが健全でなければなりません。株価を下げるために退職金を払ったせいで、会社が資金不足に陥っては本末転倒です。さらに、退職金が役員報酬と同様に所得税・住民税の対象になるため、社長個人の手取りがどうなるかも含めてトータルで設計する必要があります。

税理士や専門家と一緒に、会社の財務状況・資金繰り・退職後の生活設計を総合的に考えながら組み立てるのが王道です。

業績好調な今こそ、動くタイミング

田中社長のケースで特に残念だったのは、対策が「できなかった」のではなく「していなかった」という点です。業績が絶好調で、毎年利益が出て、会社は順調。「相続?まだ先の話だ」と後回しにしてしまうのは、ある意味で自然なことかもしれません。

しかし皮肉なことに、業績が好調なほど自社株の評価額は高くなり、対策の必要性も高まります。まさに今、会社が好調な社長ほど早めに動く必要があるのです。

相続対策には時間がかかります。役員退職金ひとつとっても、設計・税務相談・取締役会決議・実際の支払いまで一定の準備期間が必要です。事業承継税制の活用や株式の生前贈与と組み合わせた多層的な対策となると、なおさらです。「来年からやろう」では手遅れになることもあります。

まだ自社株の評価を試算したことがない社長は、一度税理士に「今うちの株を相続したら相続税はいくらになるか」を聞いてみてください。その数字を見て、初めて危機感が生まれることが多いのです。業績が良い今のうちに、一度試算だけでもしておくことを強くおすすめします。

※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。