「遺言書なんて、まだ早い」

経営者の方とこの話をすると、こういう反応がよく返ってきます。気持ちはわかります。自分がいなくなることを想像するのは、誰にとっても気が進まないことです。

でも最近、ある事例に立ち会って、改めて備えの大切さを痛感しました。今日はその話をさせてください。

30年続いた会社が、1年で機能停止した

その会社は、創業から30年以上続く地方の製造業でした。従業員は50名近く、地域でも名の知れた優良企業です。社長は誰もが認める「この会社の柱」でしたが、ある日突然、急逝されました。

持病があったわけでも、高齢だったわけでもありません。準備を考えていなかったのも、無理はないことでした。

問題は、遺言書が何もない状態で相続が始まったことです。

「継ぎたい長男」と「現金化したい次男」が衝突した

相続人は奥様、長男、次男の3人。会社の株式はすべて社長名義です。

長男は「自分が継ぐ」と主張し、次男は「株を現金で受け取りたい」と言い出しました。奥様はどちらの肩も持てず、家族会議は毎回物別れに終わります。

中小企業の株式は非上場です。「現金化したい」と言っても、すぐに市場で売れるものではありません。かといって会社が次男から株を買い取るには原資が必要で、話は一向に進みませんでした。

こうした状況が半年続いたころ、銀行が動き始めます。

「後継者未定」は融資の赤信号

金融機関は、経営の安定性を常に見ています。「後継者が決まっていない」「株主構成が不明確」という状態が続くと、融資の判断に慎重になります。これは珍しい話ではありません。

この会社もメインバンクが「次の融資は少し待ちたい」という姿勢を取り始め、運転資金が徐々に回らなくなっていきました。結局、社長が急逝してから約1年後、会社は事実上の機能停止状態に陥ります。

30年かけて積み上げてきたものが、家族間の話し合いのもつれと、たった1年の資金繰り悪化で崩れ去りました。従業員50名の生活にも、大きな影響が出ました。

遺言書一枚で、どこまで変わったか

この事例を振り返ると、遺言書が一枚あるだけで結末はかなり変わっていたと思います。

「株式は長男に相続させる」という一文があれば、相続人間の争いの焦点がずれます。次男への補償も、会社株以外の現預金や不動産で手当てするよう事前に設計しておくことができました。

もう一つ重要なのが、生前の自社株対策です。生命保険を活用して株式買取の原資を確保する、後継者に少しずつ株を移転しておく、持株会社を設けて経営権を整理しておく——こうした手は、すべて「生きているうちにしか取れない手」です。

相続が発生してしまうと、選択肢が一気に狭まります。税務・法務・金融が絡む複雑な話になり、解決に2〜3年かかることも珍しくありません。

「うちは家族仲がいいから大丈夫」が一番危ない

この話をすると、「うちはまだ先の話」「家族仲はいいから揉めない」とおっしゃる社長が少なくありません。でも、この会社の家族も、相続が始まる前は仲の良い家族でした。

お金の話、特に「誰が何億円もの株式を受け取るか」という話になると、それまでの関係性が一変することがあります。悪意があるわけではなく、それぞれが正当な主張をしているだけなのに、気づけば会社が立ち行かなくなる——これが自社株相続の怖さです。

対策は早ければ早いほど選択肢が広く、コストも低くなります。会社が元気で、社長が健康なうちにしか動けないのです。


まだ遺言書を書いていない、自社株の生前対策を先送りにしているという方は、今期中に一度、事業承継に詳しい専門家への相談をスケジュールに入れてみてください。「いつかやろう」は、往々にして「永遠にやらない」と同義です。あなたが積み上げてきた会社を守れるのは、今のあなただけです。

※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務・法務判断は税理士・司法書士等の専門家にご相談ください。