「倍率を高くすれば退職金が増えて節税になる——そう聞いたんですが、問題ないですよね?」

先日、設立から20年目になる製造業の社長から、こんな質問を受けました。引退を2年後に控え、役員退職金の設計を本格的に考え始めたとのことです。月給は100万円、勤続20年。功績倍率を5.0に設定すれば1億円の退職金になる、と誰かから聞いてきたそうでした。

話を聞きながら、少し背筋が冷えました。

その計算式、倍率が命です

役員退職金は、次の計算式で算出するのが税務の実務では一般的です。

最終月額報酬 × 勤続年数 × 功績倍率

月給100万円、勤続20年なら、倍率3.0で計算すると退職金は6,000万円。倍率を5.0にすれば1億円になります。数字を見ると「倍率を高くした方がトク」と思いたくなるのは当然です。

ただ、ここに大きな落とし穴があります。

税務署が「適正」と認める功績倍率

税務署は、役員退職金の損金算入を認める際に「適正額かどうか」を審査します。自社が好きに決めた金額がそのまま全額損金になるわけではありません。

代表取締役の場合、税務調査の実務で使われる功績倍率の目安は最大3.0です。これは業種や会社規模によって多少の幅がありますが、3.0を大きく超える倍率は税務署から「過大役員退職給与」と指摘されるリスクが高くなります。

先ほどの社長のケースで計算してみます。

  • 支給した退職金(倍率5.0):1億円
  • 税務署が認める適正額(倍率3.0):6,000万円
  • 損金不算入となる差額:4,000万円

4,000万円が「経費として認められない」とされると、その分に法人税が課税されます。実効税率34%程度で計算すると、追徴法人税は約1,360万円。さらに過少申告加算税や延滞税が上乗せされる可能性もあります。

退職金を多くもらうつもりが、会社に1,360万円超の請求書が届く——これが功績倍率のミスで起きる現実です。

税務署はどうやって「適正額」を判断するのか

功績倍率に法律上の上限はありません。税務署は「過大かどうか」を以下のような観点から総合的に判断します。

同業他社の役員退職金の水準との比較、その役員が会社に貢献した内容(業績・役職・経営への関与度)、そして退職に至る事情(自己都合か会社都合か)などです。

つまり、自社だけの論理で「この倍率なら問題ない」と決めてしまうのは危険です。税務署は外部のデータを持っています。同業他社と比較して突出した倍率を設定していた場合、税務調査のリスクは確実に上がります。

特に、創業者が引退するタイミングは税務調査が入りやすい時期です。退職金の金額が大きくなるほど、税務署の目も厳しくなる——これは実務上の現実として知っておいてください。

設定根拠を文書で残しておくことが防御になる

功績倍率を設定するときは、数字だけ決めて終わりにしてはいけません。設定の根拠を書面として残しておくことが、税務調査のときの有効な防御になります。

具体的には、退職慰労金規程の整備と株主総会議事録への正確な記載が最低限必要です。加えて、同業他社との比較データや、その役員の貢献内容を示す資料があると、税務署への説明力が格段に上がります。

「3.0以内にしておけば大丈夫」と自己判断するのではなく、税理士と一緒に設定根拠を作り込んでいくプロセスが重要です。この一手を誤ると、節税どころか大きな追徴が待っています。

引退を考え始めたら、今すぐ準備を始める

役員退職金は、正しく設計すれば会社と個人の双方にとって大きな節税効果があります。退職所得控除を活用すれば、同じ金額でも給与として受け取るよりはるかに手取りが増えます。だからこそ、設計の失敗で追徴を受けるのはあまりにもったいない。

理想は引退の2〜3年前から退職金の設計を始めることです。月額報酬の水準調整も含めて、計画的に動ける時間が生まれます。功績倍率の設定は、早く着手するほど選択肢が広がります。

まだ役員退職慰労金規程を整備していないなら、今期中に準備しておくことを強くおすすめします。退職金の設計は、引退直前に慌てて動いても取れる選択肢が狭まるものです。

※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。