先日、ある製造業の社長からこんな話を聞きました。
「退職金を2億円もらったのに、3年後の税務調査で全額ひっくり返されてしまって……会社が本当に危なかったんです」
最初は冗談かと思いました。でも、これは実際に起きた話です。2億円が「なかったこと」にされ、追徴課税が6,800万円。その経緯と教訓を、できるだけ丁寧にお伝えします。
ことのはじまり――引退を決めた60代のオーナー社長
その社長は60代、25年にわたって製造業を切り盛りしてきた叩き上げの経営者でした。そろそろ後継者に経営を譲ろうと決意し、退職金として2億円を設定しました。
会社の規模から見ても、払えない金額ではありませんでした。長年の苦労を思えば、むしろ報われて然るべき金額だとも言えます。税理士にも相談し、「問題ない」というお墨付きをもらっていました。
そして、退職届を提出。「相談役」という肩書に変わり、息子が代表取締役に就任しました。形の上では、完璧な引退に見えました。
ところが、3年後に税務調査が入った
退職後も、その社長は毎日会社に顔を出していました。社員に声をかけ、取引先との商談にも同席し、重要な判断はすべて自分が最終確認する。「相談役だから」と本人も意識していなかったのかもしれません。
しかし税務調査官の目には、まったく別の光景に映っていました。
「この方は退職していません。実態は以前と変わらない経営者です。したがって、この2億円は退職金ではなく、役員報酬として扱います」
2億円が全額否認。法人税の追徴課税は約6,800万円に達しました。会社の資金繰りは急速に悪化し、取引先への支払いが滞るほどの事態になりました。25年間築いてきた信用が、一度の税務調査で揺らぎかけたのです。
功績倍率「8倍以上」というリスク
役員退職金の適正額は、一般的に次の計算式で求められます。
退職金 = 最終月額報酬 × 勤続年数 × 功績倍率
この功績倍率の目安は、2〜3倍とされています。法律で上限が決まっているわけではありませんが、税務調査の現場ではこの数字が「相当な金額かどうか」を判断する一つの基準として使われます。
この社長の場合、逆算すると功績倍率が8倍を超えていました。目安の3倍近くの水準です。金額の大きさだけでも目を引く設定でしたが、さらに「退職の実態がない」という事実が重なったことで、完全な否認につながりました。
税務署が見ているのは「実態」だけ
ここが最大のポイントです。退職金を支払い、退職届を出しただけでは、税務上の「退職」とは認められません。税務署が判断するのは、実態として退職したかどうかです。
具体的には、こんな点がチェックされます。
- 退職後も経営判断に関与していないか
- 取引先や社員との関係性が変わったか
- 出社頻度、名刺の肩書、社内での位置づけはどう変化したか
- 後継者が実質的に経営の舵を握っているか
オーナー社長の影響力が強い中小企業ほど、この「実態判断」は厳しくなります。書類が整っていても、実態が伴っていなければ意味がないのです。
退職金を守るために、今からできること
退職金の税務リスクは、退職の「前」に手を打つことでしか回避できません。退職後に気づいても、できることはほとんどありません。
まず、功績倍率は2〜3倍の範囲を目安に設定してください。どうしても高額な退職金が必要な場合は、特別な功績や会社への具体的な貢献内容を客観的な文書として残しておくことが、後々の根拠になります。
次に、退職後の関与ルールを明文化しておくことです。「月に何回まで出社するか」「どの範囲の判断には関与しないか」を、後継者と書面で取り決めておく。これが税務調査への備えになります。
そして何より、退職前に税理士を交えて「退職の実態をどう作るか」を設計することが不可欠です。手続きと実態を同時に整えることで、否認リスクを大幅に下げられます。
25年間、会社を守り続けてきた経営者が受け取るべき退職金です。準備は早ければ早いほど、確実に守れます。退職を考えている社長は、まず顧問税理士に「功績倍率と退職後の関与ルール」を確認することから始めてみてください。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。