先日、25年間ひとりで会社を引っ張ってきた建設業の社長から、こんな話を聞かせてもらいました。「退職金の手続きが終わって、ホッとしていたら税務調査が入ったんです。まさかあそこで揉めるとは思ってなかった」と、顔色を変えながら語ってくれました。
その社長は、退職金の設計ミスひとつで、手取りが1,000万円以上消えました。長年の労をねぎらうはずのお金が、書類の設計ひとつでほぼ消えてしまったのです。今日はその話を、できるだけ具体的にお伝えします。
退職金は「計算式」で決まる
役員退職金には、税務上の計算式があります。
役員退職金 = 最終月額報酬 × 勤続年数 × 功績倍率
この「功績倍率」というのが今回のポイントです。社長の会社への貢献度を数値化したもので、一般的に代表取締役なら3倍前後、平取締役なら2倍前後とされています。
この倍率をどこに設定するかで、退職金の総額は大きく変わります。そしてここが、税務署との争点になりやすい部分でもあります。
1億2,500万円の設計が崩れた理由
その社長(仮に田中社長としましょう)は、顧問税理士と相談のうえ、功績倍率を5倍に設定しました。最終月額報酬100万円、勤続25年で計算すると、退職金は1億2,500万円になります。
「25年間、会社のために命懸けで働いてきた。これくらいは当然だ」という気持ちは、経営者なら誰でも持つと思います。でも税務署はそう見ませんでした。
税務調査で「功績倍率5倍は高すぎる。同業・同規模の会社の役員報酬水準から判断すれば、3倍が適正ライン」と指摘されたのです。
適正ラインの3倍で計算し直すと、退職金は7,500万円。差額の5,000万円が損金として認められない(損金否認)という結果になりました。
損金否認の連鎖が恐ろしい
損金否認されると、会社と個人の両方に課税が発生します。これが「連鎖」と表現される理由です。
会社側では、否認された5,000万円に対して法人税が追加でかかります。実効税率34%とすれば、約1,700万円の追徴税額です。
さらに怖いのが個人側の計算です。損金否認された退職金は、退職所得ではなく「役員賞与」として扱われる可能性があります。退職所得には2分の1課税という大きな優遇がありますが、賞与と認定されるとその恩恵がなくなり、高い所得税・住民税がかかってきます。
これらが合わさって、田中社長の手取りは当初の計算より1,000万円以上目減りしてしまいました。25年分の結晶が、書類の設計ひとつで溶けてしまったわけです。
功績倍率の「適正ライン」はどこか
税務署が功績倍率の水準を判断するとき、主に見るのは次の要素です。同業種・同規模の他社における功績倍率の実態、在任中の役員報酬額の水準、そして会社の業績や事業への具体的な貢献度です。
「自分はこれだけ貢献した」という主観は通りません。客観的なデータと比較されます。
中小企業の代表取締役であれば、功績倍率は2.5〜3.0倍の範囲が税務調査で揉めにくいラインとされています。それを超える場合は、同業他社との比較資料など、相応の根拠を用意しておく必要があります。
規程と議事録が「盾」になる
もう一つ重要なのが、書類の整備です。退職金を設計するなら、必ずセットで準備しておきたいのが次の2つです。
役員退職慰労金規程は、功績倍率や計算方式を明文化した社内規程です。これがないと、退職金の根拠が曖昧なまま税務署に向き合うことになります。
株主総会議事録は、退職金の支給を正式に決議した記録です。「いつ、いくら、なぜ支払うか」が残っていないと、税務上の説明ができません。
この2つが揃っていれば、税務調査が入っても「計画的に設計した退職金」として説明しやすくなります。逆に言えば、どちらかが欠けているだけで、一気に揚げ足を取られるリスクが高まります。
引退を考えているなら、今すぐ動く
退職金の問題は、引退を決めた後から動き始めると手遅れになることがあります。規程の整備、報酬水準の調整、功績倍率の妥当性確認——これらは早ければ早いほど、選択肢が広がります。
「まだ引退まで10年ある」という社長こそ、今の段階で専門家に設計を依頼することをおすすめします。田中社長の話は、決して他人事ではありません。退職金は会社人生の集大成です。そこに税務リスクが潜んでいないか、一度きちんと確認してみてください。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。