先日、ある製造業の社長からこんな相談を受けました。「来年引退しようと思って退職金の試算をしてもらったんですが、思っていたより全然少なくて……」と、声のトーンが沈んでいました。
詳しく話を聞いてみると、その社長(仮に山田さんとします)は60歳。20年間会社を経営してきた、絵に描いたような「堅実な経営者」です。節税意識が高く、役員報酬は毎期きちんと「最小限」に設定してきたといいます。
その額、月30万円。
確かに、所得税も社会保険料も抑えられます。でも引退の日に、その判断がどれほど大きな損失につながっていたかを知ることになりました。
退職金はこの式で決まる
役員退職金の金額は、次の計算式が基本です。
最終報酬月額 × 勤続年数 × 功績倍率
功績倍率は会社ごとに設定しますが、税務上の適正水準として、代表取締役なら3倍が目安とされています。
山田社長の場合、勤続20年・功績倍率3倍で計算すると——
30万円 × 20年 × 3倍 = 1,800万円
一方、もし月100万円の役員報酬を設定していたなら——
100万円 × 20年 × 3倍 = 6,000万円
その差は4,200万円。これが「節税のために役員報酬を下げ続けた」ことの代償です。
退職金は「最も税効率のよい出口」だった
役員退職金には、税制上の大きな優遇があります。受け取る個人側では「退職所得控除」が使えるため、同額のお金でも給与や配当で受け取るよりはるかに税負担が小さい。さらに法人側では全額を損金に算入できます。
つまり、退職金は「会社のお金を最も税効率よく個人に移す手段」のひとつなのです。
ところが、退職金の計算ベースになるのはあくまで「最終報酬月額」。ここを低く設定してしまうと、勤続年数をどれだけ積み重ねても、退職金の上限が上がらない。山田社長は20年間コツコツ経営してきたのに、その積み重ねが退職金の計算に反映されなかったのです。
法人に貯めたお金にも税金がかかる
もう一点、見落としがちな話があります。
山田社長の会社には、長年の節税で法人口座にかなりの現金が積み上がっていました。役員報酬を抑えた分、利益が法人に残り続けていたわけです。
ただ、その利益には法人税がかかります。実効税率はおよそ34%前後。つまり法人に1,000万円残っていても、税引き後に手元へ移せるのは660万円程度。「節税して会社に貯めたはずのお金」が、想像より少ない——そんな現実に引退前夜に直面することになります。
役員報酬を適正水準に上げて個人に移しながら、退職金として税優遇を使いつつ出口を作る。どちらが正解かは会社の状況によって異なりますが、少なくとも「選択肢があった」ということです。
毎期初に確認してほしい3つのこと
役員報酬は、原則として期初から3ヶ月以内に決めると損金算入が認められます(定期同額給与の要件)。一度決めたら、その期中に変更することは基本的にできません。
だからこそ、毎期初に「今期の報酬をどう設定するか」をじっくり考える必要があります。その際に確認したいのはこの3点です。
- 今の役員報酬のまま引退した場合、退職金はいくらになるか?
- 法人に利益を残すのと個人に移すのと、どちらが出口で有利か?
- 退職時期・後継者・株価評価の見通しはどう変わるか?
この3点を税理士と一緒に試算しておくだけで、山田社長のような「引退前日に気づく後悔」は防げます。
引退が10年後でも5年後でも、今の役員報酬の設定が退職金に直結します。「まだ先の話」と思っているうちが、実は一番見直しやすいタイミングです。まだ退職金を意識した報酬設計をしていないなら、今期の決算が終わる前に顧問税理士へ一度相談してみてください。数字を見るだけで、驚くほど方針がクリアになります。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。