先日、ある経営者の集まりで、こんな話を聞きました。「同じ規模の会社を売ったのに、あいつは3億で、俺は1億だった。何が違ったんだろうな」と、60代の社長がぽつりと言ったんです。

その言葉が、ずっと頭に残っています。

体調を崩して、準備なしで売りに出した

神奈川で製造業を営む山田社長(仮名)は、60歳のときに体調を崩しました。大きな手術ではなかったものの、「もう無理に続けるより、誰かに託したい」という気持ちが芽生えたそうです。

子どもに継がせるつもりもなく、番頭格の社員もいない。そこで会社売却を決意したのですが、準備は何もしていませんでした。顧問税理士に相談しながら急いでM&A仲介業者へ連絡し、買い手を探した結果、売却価格は1億円。

「まあ、こんなもんかな」と思って手続きを進めたそうです。

3年後、同業の社長が3億円で売った

ところが3年後、山田社長と同じ地域で、ほぼ同規模の製造業を営んでいた別の社長が、会社を3億円で売却したというニュースが業界内に流れました。

従業員数も売上規模もほぼ同じ。なのに価格は3倍。山田社長は「なぜ2億円も差がついたのか」と、知人の税理士に相談したそうです。

その答えは明快でした。「出口戦略の有無です」と。

企業価値は「利益」で決まる

M&Aの売却価格は、大まかに言うと「営業利益×評価倍率」で算出されます。山田社長の会社は、役員報酬を高めに設定していたため、帳簿上の利益が薄く見えていました。

経営者としては当然の節税判断です。利益が出れば法人税がかかるので、役員報酬として先に抜いておく。これ自体は間違いではありません。

ただ、M&Aの文脈では逆効果になります。「利益の少ない会社=稼ぐ力の弱い会社」と評価されてしまうからです。買い手からすれば、利益が薄い会社を高い価格で買う理由がない。

3億円で売れた社長は、売却の3年以上前から財務構造を整え始めていました。役員報酬を適正水準に下げて利益を見せやすくし、余分な資産や不良在庫を整理し、決算書を「買いやすい形」に作り直していたのです。

売却後の税負担も大きな差になる

さらに見落とされがちなのが、売却後の税負担です。

株式を売却した場合、譲渡所得に約20%の税金がかかります。しかし事前の設計次第で、手取り額は大きく変わります。たとえば、退職金を活用して課税所得を圧縮したり、株式の保有構造を見直したりすることで、税引き後の手取りを数千万円単位で変えられるケースがあります。

山田社長は1億円で売却し、税引き後は8,000万円ほどになりました。3億円で売却した社長は、設計次第ではありますが、税引き後でも2億円以上を手元に残した可能性があります。同じ規模の会社を売ったのに、手取りで1億円以上の差が生まれていたかもしれない。

最低でも3〜5年前から動き始める

M&Aで高く売るための準備は、「3〜5年前から始める」が鉄則です。

具体的にやるべきことは大きく3つあります。まず財務の正常化。役員報酬・役員貸付金・不要資産を整理して、「純粋な事業利益」がきちんと見えるようにします。次に企業価値の可視化。自社の強みや顧客基盤、技術力を言語化して、買い手に伝わる形に整えます。そして売却後の税設計。退職金・株式譲渡・配当など、どの手段で受け取るかを事前に設計します。

これを急に1年でやろうとしても、決算書の見た目を変えるには少なくとも2〜3期分が必要です。焦ってやれば、かえって「決算操作をしている」と見られるリスクもあります。

「売る気はないけど、準備はしておく」が正解

面白いのは、3億円で売却した社長は「当初は売るつもりがなかった」と言っていたことです。財務を整えていたのは、金融機関からの評価を上げるためだったそうです。

つまり、出口戦略のための財務整備は、経営をよくすることと方向性が同じです。利益をきちんと出す、無駄な資産を持たない、会社の強みを言語化する。これは売却しない場合でも、経営の質を高めることに直結します。

「まだ売るつもりはないから」という理由で後回しにしている社長ほど、いざというとき損をしやすい。山田社長の話は、そのことを静かに教えてくれています。

50代になったら、一度「今、自社を売ったらいくらになるか」を真剣に試算してみることをおすすめします。その数字に驚いた社長ほど、早めに動いた方がいいサインです。

※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。