先日、ある経営者仲間からこんな話を聞きました。「廃業するつもりだったのに、気がついたら3億円が口座に振り込まれていた」と。
最初は冗談かと思ったのですが、これは実際に起きた話です。今回はそのエピソードをベースに、後継者のいない中小企業オーナーが知っておくべき「出口の選択肢」についてお伝えします。
30年間育てた会社が、廃業なら価値ゼロになる現実
愛知県で金属加工業を経営する田中社長(62歳)は、年商3億円・社員15名の会社を30年かけて育ててきました。技術力には自信があり、取引先との信頼関係も厚い。ただ、ひとつだけ問題がありました。後継者がいないのです。
息子は別の道に進んでいて、社内に「任せられる人材」もいない。気づけば60代に入り、体力的にもいつまで現役でいられるかわからない。このまま放置すれば、廃業しかないという結論に近づいていました。
廃業という選択肢は、一見「きれいな終わり方」に見えます。でも実際には、設備や在庫の処分、取引先への説明、従業員の解雇と雇用保険の手続き、そして30年間かけて積み上げてきた「のれん」がまるごとゼロになる、ということを意味します。
M&Aを選んだら、たった半年で話がまとまった
田中社長が選んだのはM&Aでした。専門のアドバイザーに依頼し、プロセスを任せたところ、なんと半年で成約したというのです。
M&Aの流れをざっくり説明すると、①企業価値の算定、②買い手候補の探索、③秘密保持契約(NDA)の締結、④基本合意、⑤デューデリジェンス(買い手による精査)、⑥最終契約、という6つのステップになります。
専門家に任せれば、売り手がやることはそれほど多くありません。必要な資料を揃えて、面談に臨み、条件交渉に参加する。田中社長の場合、通常業務をしながらこのプロセスを進めることができました。
廃業との差額は、いくらだったか
最終的な売却額は3億円。これが田中社長の手元に入ることになりました。
廃業した場合と比較してみると、差は歴然です。廃業なら設備の売却や在庫処分でいくらか回収できるかもしれませんが、事業そのものの価値——つまり顧客との取引関係、技術力、ブランド、社員のノウハウ——はすべてゼロになります。
一方、M&Aなら「事業の継続価値」ごと売ることができます。買い手にとっては、ゼロから立ち上げる手間と時間が省けるわけですから、その分だけ対価を払う合理性があるのです。
そして田中社長がとくに喜んでいたのが、社員の雇用が守られたこと。15名のスタッフは、買収した会社にそのまま引き継がれました。廃業ならば全員を解雇しなければならなかったわけで、これは金額に換算できない価値だと話していました。
「うちの会社なんか買い手がいない」と思っていませんか
こういった話をすると、「うちは年商も少ないし、特別な技術もないから、買い手なんて見つからない」と言う経営者が多いです。
でも実態は違います。地方の中小企業こそ、買い手が求めているものを持っていることが多い。地域の顧客基盤、熟練した職人、安定したキャッシュフロー。これらは大企業が新規参入しようとしても、すぐには手に入らないものです。
田中社長の会社を買ったのも、同業の大手ではなく、事業領域を広げたかった別業種の中堅企業でした。M&Aの買い手は、あなたが想像しているよりずっと多様なのです。
税負担も試算しておくことが大切
出口設計を考えるうえで、忘れてはならないのが税金です。個人が株式を売却した場合、譲渡所得として約20%の税率が適用されます(所得税・住民税合計)。
3億円の売却なら、6,000万円前後が税負担になる計算です。これは避けられないコストですが、事前に試算しておくことで、手元に残る金額を正確に把握できます。また、株式の保有状況や売却スキームによって、税額が変わることもあるため、M&Aを検討する段階から税理士を巻き込んでおくことをおすすめします。
出口を「考え始める」のに早すぎることはない
田中社長が後悔していたのは、もっと早く動き始めなかったことだと言っていました。M&Aの準備には、財務状況の整理や、場合によっては決算書の「見せ方」を改善する時間も必要です。あと数年余裕があれば、もっと有利な条件で売れたかもしれないと。
後継者問題は、気づいたときから動き始めるのが正解です。60代になってから考えるのではなく、50代のうちに専門家に相談して、自社の企業価値を把握しておく。それだけで、選択肢の幅がまったく変わります。
「廃業か、M&Aか」。どちらが正解かは会社によって異なりますが、選択肢を持っていることと持っていないことでは、人生の結末が大きく変わります。まずは一度、自社の出口を専門家に相談してみてください。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務・法務判断は税理士・弁護士にご相談ください。