先日、ある精密機械メーカーの社長からこんな相談を受けました。「先代の会長に退職金を2,800万円払ったら、半年後に税務署から連絡が来た」というのです。節税のつもりで設計したはずが、まさかの展開です。

役員退職金は、法人税の節税手段として広く知られています。でも「高額だから危険」というわけではなく、問題の本質は金額そのものより「根拠があるかどうか」に尽きます。今日はその構造を整理しておきます。

功績倍率という「目安」の正体

役員退職金の妥当性は、税務上「功績倍率 × 最終月額報酬 × 勤続年数」という計算式で評価されます。

月額報酬100万円、勤続20年の役員なら、功績倍率3倍で計算すると 100万円 × 20年 × 3倍 = 6,000万円。この金額が「節税として認められる上限の目安」になります。

ただし、ここが重要です。この2〜3倍という功績倍率は、法律で定められた固定値ではありません。過去の裁判例や同業他社の実態から導き出された「税務署が参照する基準」であって、会社側がその倍率を使う合理的な理由を説明できなければ、数字だけ書いてあっても意味がないのです。

根拠がないとどうなるか

税務署は調査の際、退職金の算定根拠を細かく確認します。そして「なぜこの倍率なのか」「同業他社と比べて適正か」が説明できない場合、独自に妥当額を算定しなおします。

自社の支給額がその算定結果を超えていれば、超えた部分は「過大支給」として損金不算入の判定を受けます。要するに、払った退職金の一部が経費として認められなくなります。

さらに、悪意ある租税回避と見なされれば重加算税が35%も上乗せされます。仮に退職金3,000万円のうち1,200万円が過大と認定された場合、法人税(実効税率約33%)と重加算税を合計すると、追加の税負担は500万円を軽く超えることがあります。

高額でも通る。問題は「この3点セット」が揃っているかどうか

繰り返しますが、高額だから否認されるわけではありません。根拠をきちんと整えれば、2,000万円でも5,000万円でも損金として通ります。税務署が問題にするのは、以下の3点が欠けているケースです。

退職慰労金規程

役員の退職金をどのような基準で算定するかを定めた社内規程です。「勤続年数に応じた倍率表」「功績加算の考え方」など、支給基準を具体的に明文化しておく必要があります。規程がない、あるいは内容が「会社が適切と認める額」という一文だけ、というケースは論外です。

取締役会議事録

退職金の支給を正式に決議した記録です。支給額・支給理由・対象役員の勤続年数と業績貢献を明確に盛り込みます。議事録の日付が退職日より後になっているケースは珍しくなく、それだけで証拠能力が落ちます。

同業他社比較データ

功績倍率の根拠として、同規模・同業種の他社でどの程度の退職金が支払われているかを示すデータです。中小企業実態基本調査や業界団体の統計を活用します。このデータがないと「なぜ3倍なのか」という問いに答えられません。

支給の「前」に揃えることが絶対条件

退職金を払ってから慌てて書類を整えようとしても、後付けは通用しません。税務署は書類の作成日や経緯を丁寧に追います。「退職金を払った後に作成された規程」は説得力がゼロに近く、場合によっては悪意の証拠にすらなります。

実際に問題になった事例をいくつか見ると、規程と議事録は揃っていたのに比較データだけ存在せず過大認定されたケース、議事録の押印漏れが発覚して否認の口実になったケース、こうした細部のミスが何百万円という追徴につながっています。

「役員の引退設計」は早いほど有利

役員退職金は、正しく設計すれば数千万円単位の節税が可能な強力なツールです。しかし設計が甘いと、そのままリスクの塊に変わります。

社長自身が近い将来の引退や事業承継を視野に入れているなら、今から3点セットを整備しておくことが大前提です。「そのうち作る」という先送りが、退職のタイミングで深刻な問題を引き起こします。

担当の税理士に役員退職金の設計をまだ相談していないなら、来期の計画を立てる前に一度確認しておくことをおすすめします。支給前に整えた根拠書類が、将来の税務調査で会社と社長自身を守ることになります。

※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。