先日、ある経営者仲間の会合で、こんな話を耳にしました。

「田中さんのところ、ご存知ですか。あの製造業の。廃業したんですよ」

田中社長は創業30年、年商3億円の製造業を一代で築き上げた人物です。業界では知られた存在で、従業員28人を抱える地域の有力企業でした。それが、社長の急逝からわずか2年で消えた。

何が起きたのか

田中社長が亡くなったとき、会社の自社株は評価額にして約8,000万円ありました。遺言はなかった。後継者の指定もなかった。法定相続の原則に従い、3人の息子が3分の1ずつ相続することになりました。

長男は「自分が継ぐ」と言いました。次男は「株を売って現金にしたい」と言いました。三男は経営に興味はないものの、「分け前はもらう権利がある」と言いました。

ここから、いわゆる「争族」が始まります。

3分の1では何も動かせない

株式会社の経営で大きな意思決定をするには、株主総会の特別決議が必要です。この特別決議には、議決権の3分の2以上の賛成が要る。つまり、3人それぞれが3分の1しか持っていないと、誰一人として単独で特別決議を通せない状態になります。

役員の選任も、大きな投資判断も、会社を売るも継続するも、何も決められない。長男が「経営したい」と言っても、次男と三男が反対すれば会社は動きません。

経営会議は毎回紛糾し、主要取引先はその混乱を察知し始めました。「あの会社、大丈夫か」という空気が業界に広まるのに、さほど時間はかかりません。

2年後、廃業

株主間の争いが続いた結果、主力の取引先が離れ、受注が急減しました。そして創業30年の会社は2年で廃業。28人の従業員が職を失いました。

田中社長が生涯をかけて築いたものが、跡形もなく消えた。

これは作り話ではありません。同様の構図で会社が機能不全に陥るケースは、中小企業の事業承継では決して珍しくない話です。

防げた悲劇だった

田中社長に「後継者を決める気がなかった」わけではないと思います。ただ、「まだ元気だから」「子供たちに任せればうまくやるだろう」という先送りが続いた。その結果、最悪の事態を招いてしまった。

対策はシンプルです。生前に遺言を作成し、自社株を後継者に一括で移転する。それだけで、議決権が1人に集中し、経営の継続性が担保されます。

遺言がない場合でも、生前贈与を活用して計画的に株を移転していく方法があります。また、株の評価が高くなる前に動いておくことで、贈与税・相続税の負担を抑えることもできます。

事業承継税制という制度もあります。要件を満たせば、自社株に係る贈与税・相続税の納税を猶予・免除してもらえる仕組みです。ただし、事前の計画と手続きが必要で、思い立ってすぐ使えるものではありません。

「元気なうちに」が全て

経営者の方にお伝えしたいのは、事業承継の準備は「引退を考え始めてから」では遅い、ということです。

自社株の評価額はどのくらいか。相続が発生したとき、誰がどう引き継ぐのか。遺言の内容は家族に伝えてあるか。こうした点を、元気なうちに一度専門家と整理しておくことが、会社と家族と従業員を守ることになります。

田中社長の話を聞いて、「うちは大丈夫」と思える経営者はどれだけいるでしょうか。もし少しでも心当たりがあるなら、今期中に一度、事業承継の専門家に相談してみてください。

※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務・法務判断は税理士・弁護士にご相談ください。