先日、65歳の製造業の社長からこんな言葉を聞きました。
「5年前から、来年こそやろうと思い続けていたんです……」
そう言いながら見せてもらったのは、税理士が作成した相続税の試算書。そこに並んでいた数字を見て、思わず絶句してしまいました。
好業績が、裏目に出た5年間
A社長が経営する製造業の会社は、この5年で業績が大きく伸びました。売上も利益も好調で、傍から見れば「素晴らしい経営」そのものです。
ところが、その「好業績」が事業承継の場面で完全に裏目に出ました。
業績が伸びるということは、会社の価値が上がるということ。そして会社の価値が上がれば、オーナー社長が保有する自社株の評価額も上がります。A社長のケースでは、5年間で自社株の評価額が約3倍に膨らんでいました。
相続税は、亡くなった時点の財産に対してかかります。株価が3倍になった状態で相続が発生すれば、その増加分がそのまま課税対象に加わります。試算の結果、当初の見込みより約6,000万円の税負担増という数字が出てきました。
「特例を使えば良かった」では済まない理由
事業承継に詳しい方なら、「事業承継税制の特例措置を使えば良かったのでは?」と思うかもしれません。
その通りです。本来であれば、後継者への自社株移転について一定の要件を満たせば、贈与税や相続税の納税を猶予・免除してもらえる制度があります。特に「特例承継計画」を活用した特例措置は、中小企業のオーナーにとって非常に強力な節税手段でした。
しかしこの特例には、計画書の提出期限があります。A社長はその期限をとっくに過ぎてしまっていました。「来年こそ」と先送りにし続けた結果、最も使いやすい選択肢の一つを自ら手放していたのです。
事業承継対策の本質は「株価が低いうちに動く」こと
事業承継対策の本質は、まさにここにあります。会社の業績が悪いときではなく、まだ伸びしろがある段階で株式を後継者に移転しておくこと。そうすることで、その後に業績が上がっても、増加した価値は後継者のもとに蓄積されていきます。
具体的な手段はいくつかあります。毎年の贈与税の基礎控除(年110万円)を活用した生前贈与、合法的な手法で自社株の評価額を引き下げてから移転する方法、持株会社の活用によるグループ再編など、選択肢は一つではありません。
ただし、どの方法が最適かは会社の状況によって大きく異なります。重要なのは、いずれの手法も「時間」が最大の武器になるということ。早く動けば動くほど、使える選択肢が増えます。
「忙しい」が、一番のリスク
A社長が5年間、事業承継を後回しにし続けたのは、決して無責任だったからではありません。会社を成長させることで頭がいっぱいで、「自分のこと」にまで手が回らなかったのです。
経営者が会社を伸ばすことに集中するのは当然です。でも皮肉なことに、会社が伸びれば伸びるほど、手をつけるのが遅れた代償が大きくなっていく。6,000万円という数字は決して珍しくありません。業績が好調な会社ほど株価の上昇スピードが速く、対策の遅れが税負担に直結します。
まず「現状把握」だけでも始めてほしい
事業承継は「決断」よりも先に「現状把握」から始めることができます。
自社株の現在の評価額を税理士に試算してもらうだけで、状況が大きく見えてきます。「うちはまだ大丈夫」という感覚が、実は危険信号であることも少なくありません。
まだ事業承継の具体的な検討を始めていないなら、今期中に一度、顧問税理士に「自社株の評価額と、今使える対策の選択肢を教えてください」と話しかけてみてください。その一言が、数千万円単位の差をつくるかもしれません。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。