先日、ある社長からこんな連絡が届きました。「税務署から電話が来た。来月、調査に来るって言われた」

その声には、明らかな動揺がありました。引退の節目に受け取った退職金は2億円。まだ受け取ってから1年も経っていないタイミングのことです。

役員退職金への税務調査は、決して珍しくありません。特に金額が大きいほど「本当に適正な額だったのか」と調査官は目を光らせます。追徴課税と延滞税・加算税を合わせると、最悪の場合、数千万円規模の請求になることもあります。

ただ、今回ご紹介する田中社長(仮名)は、まったく慌てませんでした。

税務調査の朝、社長がまず手にしたもの

製造業を40年経営してきた田中社長が勇退を決めたのは、数年前のことです。長年の功績を評価した役員退職金として、2億円が正式に決議されました。

その翌年、税務署から「調査に伺います」という電話が入りました。

電話を切った社長は、引き出しを開けてある書類を取り出しました。

  • 株主総会議事録:退職金額と決議内容が正式に記録されたもの
  • 功績倍率計算書:なぜこの金額になったのかの根拠を示す計算書
  • 退職金規程:算定基準が明文化された社内規程

どれも、退職前に税理士と一緒に時間をかけて整えておいたものでした。社長は「これがあれば大丈夫」と言って、書類を机の上に並べたそうです。

役員退職金で最重要視される「功績倍率」

退職金が税務上「適正か否か」を判断するとき、もっとも重要になるのが「功績倍率」という考え方です。

計算式はシンプルです。

退職金 ÷(最終報酬月額 × 勤続年数)= 功績倍率

たとえば最終月額報酬が100万円、勤続40年なら基準額は4,000万円です。功績倍率が一般的に2.0〜3.0の範囲に収まっていれば、税務上も「不当に高くはない」と認められやすいとされています(ただし業種・規模によって異なります)。

田中社長のケースでは、この功績倍率が計算書に丁寧に文書化されていました。勤続40年の功績、業界内での会社の成長実績、最終月額報酬との比率——すべての根拠が数字と文章で記されていたのです。

調査官が「なぜこの金額なのか」と問うたとき、答えはすでに紙の上にありました。

調査は1日で終わった

調査当日、担当の調査官はまずその3つの書類を確認しました。

株主総会議事録には、退職金の額と決議内容が正式に記録されていました。退職金規程には、算定の基準が明文化されていました。功績倍率計算書には、なぜ2億円という金額に至ったのかが数字で示されていました。

調査官はいくつか質問をし、税理士が答えました。追加の資料請求もなく、その日の夕方には調査が終わりました。追徴課税はゼロ。退職金2億円は「適正」と認められたのです。

「後から作ればいい」は通用しない

ここで一つ、知っておいてほしいことがあります。

退職金に関する書類は、支給する前に整えておかなければ意味がないということです。

税務調査が入ってから慌てて書類を用意しても、それは「後付け」と見なされるリスクがあります。議事録の日付が実際の決議時期と合わない、規程が存在しない、計算の根拠が曖昧——こういった状態で調査を受けると、金額の一部または全部が否認されることがあります。

退職金は「受け取る瞬間」ではなく、「決める前」の準備が勝負です。この順番だけは絶対に間違えないでください。

今から動ける社長へ

引退まではまだ時間がある、という社長ほど、実は準備が後回しになりがちです。しかし、退職金規程の整備や功績倍率の試算は、決して一夜でできるものではありません。

理想は引退の2〜3年前から始め、税理士と一緒に数字をシミュレーションしておくことです。規程を整え、議事録のフォームを確認し、功績倍率の妥当性を数字で示せる状態にしておく。これだけで、億単位の退職金を守れる可能性が大きく上がります。

まだ退職金規程を整備していない、あるいは「何となく決めている」という状態なら、今期中に一度、顧問税理士に相談することをおすすめします。調査が入ってからでは遅いのです。

※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。