先日、60代の建設業の社長からこんな相談を受けました。
「子どもに継がせるつもりだったけど、本人が望まなかった。M&Aで売るとして、1億円入ってきたら全部使えると思っていいよね?」
この一言に、正直ぞっとしました。
事業を売却して個人口座に1億円が振り込まれた場合、それをそのまま受け取ると最大で半分近くが税金として消えていく可能性があるからです。
「ただ受け取る」と5,000万円消える
M&Aによる売却代金を給与として個人で受け取ると、所得税と住民税の最高税率は合計55%に達します。
たとえば1億円を給与として受け取った場合、税負担は概算で約5,000万円。手元に残るのは5,000万円です。
「そんなに取られるの?」という顔をされる社長が多いのですが、これは誇張ではありません。日本の個人所得税は累進課税ですから、高額になればなるほど実効税率は上がっていくのです。
さらに怖いのが「その後」です。手元に残った資金を株式や不動産で運用したとして、その運用益にも毎年税金がかかります。複利の恩恵を削られながら資産を増やし続けなければならない——これが「ただ受け取る」を選んだ社長の現実です。
退職金なら、同じ1億円でも税負担が3,000万円変わる
ここで使えるのが退職所得控除という制度です。
退職金には、ほかの所得と異なる特別な税優遇があります。勤続年数が長いほど控除額が大きくなり、たとえば勤続30年であれば控除額は1,500万円。
さらに退職所得は、控除後の金額を「2分の1」にしてから税率をかけます。この「半分課税」ルールがきわめて強力で、同じ1億円でも受け取り方で税負担がまったく変わります。
- 給与で受け取ると:税負担 約5,000万円
- 退職金で受け取ると:税負担 約1,900万円
差額は約3,100万円。老後の生活水準がまるで違ってきます。
もちろん、役員退職金規程の整備や取締役会議事録の作成など、事前準備が必要です。「売却が決まってから退職金にしてほしい」というのは通用しません。M&Aを考えるなら、少なくとも1〜2年前から動き始めることが重要です。
投資会社を使えば、運用益の税率も半分になる
退職金で節税して資金を守れたとして、次の問題は「その資金をどう育てるか」です。
個人で株や債券を運用すると、総合課税では最大55%の税がかかります。これに対し、**資産管理会社(いわゆる投資会社)を通じて運用すれば、法人税率は約22〜34%**で済みます。
資産管理会社とは、個人の資産を管理・運用するために設立する法人のことです。オーナー社長が株主・役員となり、会社の中で投資活動を行います。
たとえば運用益が年500万円発生した場合、個人(総合課税)では最大275万円が税金になりますが、法人では最大170万円程度で済みます。差額は年間100万円超。これが10年、20年と積み重なれば、老後に使える資産の総額は大きく変わります。
また法人であれば、配偶者への役員報酬で所得を分散させたり、法人保険を活用したりといった節税の選択肢も広がります。
タイミングを間違えると使えなくなる
「退職金×投資会社」の組み合わせは強力ですが、注意点があります。
最大のリスクはタイミングの失敗です。退職金は実際に退職することが前提ですから、M&A成立後も会社に残って働き続けると「退職していない」と判断されかねません。また、資産管理会社の設立は事業会社の売却前に行うのが基本で、売却後に設立しても遡及はできません。
もう一つ、退職金の金額が「不相当に高額」と税務署に判断されると、その分が否認されるリスクがあります。功績倍率や同業他社水準との整合性が重要で、ここは専門家の設計が欠かせません。
後継者がいないことは、「損して終わる」ことを意味しません。むしろ出口戦略を正しく設計すれば、事業売却は老後資産形成の最大のチャンスになります。
まだ先の話だと思っている社長こそ、今のうちに税理士や専門家に相談することをお勧めします。動き始めるのが早いほど、選択肢は広がります。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。