先日、製造業を30年経営してきた社長から、こんな話を聞きました。
「会社を3億円で売ったのに、手元に残ったのは1.8億円だった。もっと早く相談していれば…」
後継者不在が続き、M&Aで会社を売却されたその社長。売却価格は申し分なかったのに、最終的な手残りは想定より6,000万円以上少なかったそうです。いったい何が起きたのでしょうか。
売り方の選択が、すべてを決める
M&Aで会社を売却するとき、大きく分けて2つの方法があります。「株式譲渡」と「事業譲渡」です。
名前は似ていますが、税負担はまったく異なります。この選択を誤ると、数千万円単位で手残りが変わってしまうのです。
株式譲渡:オーナーが直接売る
株式譲渡は、会社のオーナーである社長が、自分の保有株式を買い手に売る方法です。
税金は「株式の売却益」に対してかかります。税率は20.315%の申告分離課税。これは所得の大小にかかわらず一律です。
冒頭の社長のケースで試算してみましょう。売却価格3億円、取得原価(設立時の出資額)が300万円だとすると、売却益は約2億9,700万円。税額はおよそ6,000万円、手残りは2.4億円になります。
事業譲渡:会社が資産を売る
一方、事業譲渡は会社そのものが動きます。会社が事業資産を買い手に売り、その後オーナーが会社から現金を受け取る、という2段階の構造です。
ここに落とし穴があります。
まず会社に法人税がかかります。製造業の実効税率はおよそ35%前後。さらに事業譲渡には消費税もかかります(棚卸資産や固定資産の譲渡が課税対象)。そのうえで、残った利益を社長個人が受け取る際にも税金がかかる。
結果として、同じ3億円の売却でも手残りは1.8億円。株式譲渡との差は6,000万円超になりました。
なぜ事業譲渡を選んでしまうのか
では、なぜ売り手に不利な事業譲渡が選ばれることがあるのでしょうか。
ひとつは「買い手の都合」です。買い手からすると、事業譲渡のほうが都合がいい場面があります。不要な資産や簿外債務を引き継がずに済む、のれんを税務上償却できるなど、買い手にとってのメリットが存在するのです。
もうひとつは「交渉力の差」。M&Aに慣れた買い手と、初めて売却を経験するオーナー社長では、知識量も交渉経験も圧倒的に違います。気づかぬうちに買い手有利の条件が設定されていることもあります。
チェックすべきポイント
会社売却を検討するなら、最低限これだけは押さえておいてください。
- 株式譲渡が使えるかどうか確認する(簿外債務がない、株主が整理されているなど)
- 取得原価の証明書類を準備する(古い会社は設立時の書類が重要)
- 消費税の課税対象資産がどれだけあるかを把握する
- M&A仲介会社だけでなく、税理士・弁護士にも早期に相談する
特に最後の点は強調したいのですが、M&A仲介会社は取引を成立させることが仕事です。税金の最適化まで一緒に考えてくれるとは限りません。税務の専門家を早い段階から巻き込むことが、結果として数千万円の差になります。
「売れた」と「残った」は別の話
会社を高く売ることは大切です。でも、最終的に手元に残るお金がいくらかを考えないと、本当の意味での成功とは言えません。
3億円で売れた、という事実だけを見れば成功体験です。でも同じ売却価格で2.4億円残る方法があったとしたら、6,000万円を置いてきたことになる。これは事後では取り返せない損失です。
後継者問題は多くの中小企業オーナーにとって、避けて通れないテーマになっています。M&Aを選択肢として考えているなら、「売却額」だけでなく「手残り額」を軸に設計することを強くおすすめします。
具体的な売却スキームの検討は、できれば売却の2〜3年前から始めるのが理想です。まだ先の話と思っていても、早めに専門家に相談しておくと選択肢が広がります。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。