先日、こんな相談を受けました。

「会社を売ることになったんだけど、手取りがどのくらいになるか全然わからなくて」——年商3億円の製造業を20年経営してきた60代の社長です。M&Aの話がトントン拍子で進み、売却価格もほぼ合意した段階で、ふと税金のことが気になって連絡してきたとのこと。

話を聞いていくと、売却方法の検討がまだ何もされていない状態でした。このタイミングで相談してもらえてよかった、と正直思いました。なぜなら、売り方の選択を間違えるだけで、手取りが数千万円単位で変わってしまうからです。

売り方が違えば、税率も全然違う

会社を「売る」といっても、大きく2つの方法があります。ひとつは株式譲渡、もうひとつは事業譲渡です。

オーナー社長が個人で保有する株を買い手に譲渡する株式譲渡の場合、売却益にかかる税率は約20%です。1億円の売却益が出れば、税金は約2,000万円。手取りは8,000万円になります。

一方、会社の資産や事業だけを切り出して売る事業譲渡の場合、まず法人段階で売却益に法人税がかかります。中小企業でも実効税率は25〜35%程度。さらに残った現金を社長個人が受け取ろうとすると、配当や役員報酬として所得税・住民税がかかってきます。合算すると、場合によっては税負担が50%を超えることもあります。

同じ「1億円で売れた」でも、株式譲渡なら手取り8,000万円、事業譲渡なら手取り5,000万円を下回る——この差が3,000万円です。税率の違いを知らずに話を進めてしまう社長が、残念ながら今でも少なくありません。

「順番」を間違えると、数百万円が消える

売却方法の選択と同じくらい重要なのが、手続きを進める順番です。

特に見落とされがちなのが、役員退職金です。M&Aで会社を売却する際、社長が退任するタイミングで役員退職金を受け取ることができます。退職金は給与と違い、退職所得控除という大きな控除が使えるため、税負担が非常に軽くなります。

勤続年数が長い社長ほど控除額は大きく、たとえば30年勤続なら控除額は1,500万円。さらに退職所得は控除後の金額を2分の1にしてから課税するため、実質的な税率は給与の半分以下になることも珍しくありません。

問題は、この退職金をM&A完了後に受け取ろうとすると、買い手側の会社が承認する必要が生じるなどの複雑な事情が出てくることです。退職金の設計は、売却の話がまとまる前に済ませておくのが鉄則です。

売る前に株価を下げておく、という発想

もう少し踏み込んだ話をすると、株式譲渡の場合、売却益は「売却価格 − 取得価格」で計算されます。取得価格が低ければ低いほど、課税対象の利益は大きくなります。

ここで注目したいのが、事前に株価を適正な範囲で引き下げておくという対策です。具体的には、役員退職金を支払うことで会社の純資産を減らし、株価を下げてから売却に臨む方法があります。退職金として受け取った分は税優遇があり、かつ株価が下がることで株式譲渡時の利益も圧縮できる——二重のメリットがある戦略です。

ただし、これは売却の合意前に実行しておくことが絶対条件です。売却価格が決まった後に慌てて退職金を出しても、税務上の問題が生じる可能性があります。タイミングが命です。

「売れればいい」は一番もったいない

会社を売る決断をした社長の多くは、交渉や引き継ぎに神経を使うあまり、税金の設計が後回しになりがちです。「売れることが決まってから税理士に相談しよう」という気持ちは理解できますが、それでは遅いケースが多いのです。

M&Aにおける節税対策は、売却の意思を固めた段階、できればまだ相手先を探し始める前から始まります。株価の評価方法、退職金の金額設定、売却スキームの選択——これらはすべて、早く動くほど選択肢が広がります。

「もっと早く相談してくれれば」と言わなくて済むよう、M&Aを少しでも検討しているなら、今すぐ顧問税理士にひと声かけておくことを強くおすすめします。M&A案件に慣れた税理士やFAと早めにチームを組むだけで、手取りの結果は大きく変わります。

※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。