先日、63歳の社長からこんな相談を受けました。

「そろそろ息子に会社を任せようと思っているんだけど、特に何も準備はしていない。来年か再来年あたりかな」

何気なく口にしたひと言でしたが、正直なところ、少し焦りを感じました。引退のタイミングというのは、「気持ちの準備ができたら」では取り返しのつかない損をすることがあるからです。

1年ズレるだけで、手取りが数千万円単位で変わることも珍しくありません。今回は、社長が引退を考えるうえで見落としがちな「タイミングの落とし穴」を3つお伝えします。


在任10年未満での引退は、退職金を捨てているようなもの

役員退職金には「功績倍率」という計算式が使われます。最終月額報酬に在任年数と功績倍率をかけた金額が、税務上で認められる退職金の目安になります。

ここで重要なのが「在任年数」です。たとえば月額報酬100万円の社長が功績倍率3.0で退職する場合、在任9年なら退職金は2,700万円。しかし在任10年なら3,000万円になります。たった1年の差が300万円の違いを生むわけです。

さらに、退職金には「退職所得控除」という強力な非課税枠があります。勤続年数20年以下なら1年あたり40万円、20年超なら1年あたり70万円が控除されます。在任年数が長ければ長いほど、この非課税枠が広がる仕組みです。

「もう十分稼いだから」という気持ちはわかりますが、10年を目前にして引退するのは、用意された非課税枠を自ら捨てるようなもの。最低でも10年、できれば20年超を視野に入れて設計することをおすすめします。


株価が高いときの事業承継は、税金の塊を渡すようなもの

業績が好調な会社ほど、引退前に陥りやすい罠がこれです。

自社株の評価額は、会社の利益や純資産をもとに計算されます。業績が絶好調のタイミングで後継者へ株式を移転しようとすると、株価が高騰しているぶんだけ贈与税・相続税の負担が跳ね上がります。場合によっては、株式の評価額が数億円単位で膨らんでいることも珍しくありません。

たとえば、株価が低い時期に1株あたり10万円だったものが、業績好調で30万円に上がっていたとします。1,000株を移転するなら、評価額の差は2億円。この差が、そのまま税負担の差に直結するのです。

対策としては、株価が下がりやすいタイミング——たとえば大きな設備投資をした直後や、一時的に利益が圧縮された期——を狙って株式の移転を行うことが有効です。「引退の気持ちができてから」ではなく、「株価が低いうち」に動くのが鉄則です。


65歳を超えてからの「無計画引退」が、最も危ない

3つの中でもっとも深刻なのが、これです。

最近、相続や契約の手続きの場で、「判断能力に不安がある」として手続きがストップするケースが増えています。認知機能の低下は、本人が気づかないうちに進むことも多く、ある日突然「契約の意思確認ができない」と判断されるリスクがあります。

引退に関連する手続き——退職金の決定、株式の贈与、遺言書の作成、事業承継契約の締結——はすべて、「本人の判断能力がある」ことが前提です。これらが65歳を超えてから未整備のまま残っていると、家族や後継者が非常に困る事態になりかねません。

理想的なのは、60歳から63歳の間に「逆算設計」を始めることです。「いつ引退するか」を先に決め、そこから退職金の受取時期、株式移転のスケジュール、遺言や後見の準備を逆算して組み立てる。この順番で考えることが、最終的な手取りを最大化することにつながります。


引退は「感情」ではなく「設計」で決める

引退のタイミングは、気力や体力が落ちてから考えるものではありません。むしろ、頭も体も動く50代後半から、静かに設計を始めるべきテーマです。

退職金の非課税枠、自社株の評価、判断能力が保たれているうちの手続き——この3つを意識するだけで、引退後の手取りは大きく変わります。

もしまだ「引退はまだ先の話」と思っているなら、今期中に一度、顧問税理士と「出口設計の試算」をしてみてください。数字を見ると、驚くほど具体的に動きたくなるはずです。

※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。