先日、製造業を営む60代の社長からこんな相談を受けました。「M&Aの話が出てきたんだけど、株式譲渡と事業譲渡、どっちがいいのか全然わからなくて」と。

話を聞いてみると、仲介会社から両方の提案を受けていたものの、税金の違いについては誰も丁寧に説明してくれていなかったそうです。これ、実はとてもよくあるケースです。

結論から言うと、どちらの手法を選ぶかで、手取り額が数千万円単位で変わります。 会社を売るという大きな決断をする前に、この違いだけは必ず押さえておいてほしいと思い、今回まとめることにしました。

株式譲渡なら税率は約20%で済む

株式譲渡とは、社長が個人として保有している株式をそのまま買い手に売却する方法です。この場合、売却益は「譲渡所得」として申告分離課税の対象になります。

税率は所得税・住民税あわせて約20%。1億円の売却益が出たとすれば、手元に残るのはおよそ8,000万円です。計算もシンプルで、手続きとしても比較的わかりやすい。

社長個人の財布に直接お金が入ってくるイメージです。会社はそのまま存続し、従業員も雇用契約もひっくるめて買い手に引き継がれます。

事業譲渡だと「二重課税」の罠にはまる

一方、事業譲渡は会社の資産や契約、事業そのものを売却する方法です。パッと聞くと似ているようですが、税金の構造がまったく異なります。

まず、売却益は会社(法人)に入ります。ここで法人税が約30%かかります。1億円の売却益なら、法人税だけで約3,000万円が飛んでいく計算です。

問題はここから。残った約7,000万円を社長個人が受け取ろうとすると、今度は役員報酬や配当という形での課税が発生します。これが「二重課税」と呼ばれる構造で、累進課税が絡めば実質的な手取り率が50%を下回るケースも珍しくありません。

同じ1億円の売却益でも、株式譲渡なら手取り約8,000万円、事業譲渡なら状況によっては4,000〜5,000万円台まで下がることがあります。その差、最大で3,000〜4,000万円。これを「やり方の違い」の一言で片付けるには、あまりに大きすぎる金額です。

なぜ事業譲渡を選ぶケースがあるのか

ここまで読むと「じゃあ全員が株式譲渡を選べばいいじゃないか」と思うかもしれません。ただ、買い手の立場から見ると話は少し変わります。

株式譲渡では、会社が過去に抱えていたリスク(未払い残業代、隠れた債務、税務上の問題など)もそのまま引き継ぐことになります。買い手としては、そのリスクを背負うことへの抵抗感がある。

一方、事業譲渡であれば買い手は「必要な資産と契約だけ」を選んで引き継げるため、リスクを限定しやすい。買い手がどうしても事業譲渡を求めてくるケースも、現実には少なくないのです。

つまり、税金の有利・不利だけで手法を決められないのが事業承継の難しさです。交渉の中でどちらの形式になるかが決まっていくことも多く、だからこそ早い段階から税理士を巻き込んで戦略を立てることが重要になってきます。

「売却価格が高ければいい」ではない

M&Aの場面で社長が最も気にするのは、売却価格の金額そのものだと思います。でも正直、税引き後の手取り額で比較しないと意味がありません。

事業譲渡で5億円という提示を受けても、手取りが2億円台になるケースがある。一方、株式譲渡で4億円の提示でも、手取りが3億円を超えることがある。表面の数字に踊らされないよう、常に「手残りベース」で考える習慣をつけておきましょう。

動き始めるなら、今です

事業承継やM&Aの話は、「いざ買い手が現れてから考える」では遅すぎます。株式の保有構造を整理しておく、役員退職金の準備をしておく、自社株評価を下げる対策を打っておくなど、事前にできることは山ほどあります。

「まだ売るつもりはない」という段階でも、選択肢を広げておく準備は早いほど有利です。60代になってから慌てて動き出す社長をたくさん見てきましたが、50代のうちに相談に来た社長とは、選べる手法の幅がまったく違います。

会社の出口戦略を考え始めたなら、まず信頼できる税理士に「うちの場合はどちらが有利か」を確認するところから始めてみてください。その一歩が、数千万円の差を生むことになるかもしれません。

※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。