先日、ある製造業の社長から「退職金を整備したいんだけど、功績倍率って高くしても法律上は問題ないですよね?」という質問を受けました。

おっしゃる通り、法的な上限はありません。でも私はその質問に、すぐには「問題ありません」と答えられませんでした。倍率を高く設定することで実際に数千万円単位の追徴が起きた事例を、いくつも知っているからです。

東京の製造業社長が直面した現実

東京都内、年商数億円規模の製造業を経営するオーナー社長が引退を迎えたときのことです。長年の功績を評価しようと、退職金規程に功績倍率3.5倍を設定し、退職金総額として8,000万円を支給しました。

ところが、その後の税務調査で事態は急変します。税務署は「同業・同規模の他社と比較して不相当に高額」と認定。超過部分が全額損金不算入となり、法人税の追徴額は約3,000万円に達しました。

退職金を払ったのに、そのあとまた3,000万円の税金を払う羽目になる。それがこの事案の結末です。

功績倍率に「法律の上限」はないが、税務署の「基準」はある

功績倍率について税法に具体的な上限規定はありません。法人税法の条文は「不相当に高額でなければ損金算入できる」と定めているだけです。

問題は、「不相当に高額かどうか」を判断するのが税務署だということです。税務署は業種・売上規模・従業員数などの条件が近い他社を選び、その退職金の平均水準と比較します。この「類似他社比較法」と呼ばれる手法が、実務上の判断基準になっています。

多くの税理士が口をそろえて言うのが「功績倍率3倍が実務上の目安」という話です。3倍以下でも根拠がなければリスクはゼロではありませんが、3倍を超えた時点で否認リスクが一気に高まるのが現実です。この事案の3.5倍という設定は、まさにその危険水域に踏み込んでいました。

防げた可能性がある——準備さえあれば

この事案で悔やまれるのは、事前の整備があれば結果が変わっていたかもしれないという点です。具体的には2つの準備が不足していたと考えられます。

退職金規程の事前文書化 功績倍率・計算式・支給基準を明文化した規程を策定し、株主総会や取締役会で承認しておくこと。これがないと「退職時に都合よく決めた」と見られてしまいます。

功績倍率の根拠資料 なぜその倍率が相当なのかを説明できる資料——業界平均データ、在任期間中の業績推移、貢献度の評価基準など——を残しておくこと。税務調査で「なぜ3.5倍なのですか」と聞かれたとき、説明できるかどうかが勝負の分かれ目です。

退職金は「払う前」に設計を完成させる

退職金の設計で大きな誤解が一つあります。「退職が決まってから準備すればいい」という考え方です。

実際には、退職後に規程を整備したり倍率を見直したりしても、税務署には「後付け」と判断されるリスクが高い。退職金の設計は、退職の2〜3年前から逆算して進めるのが正しい順序です。規程の策定、倍率の根拠づくり、社内承認手続き——これらを時間をかけて積み上げておくことが、後のリスクを大きく下げます。焦って決めたものほど、税務署に突っ込まれやすいのです。

「うちはまだ先」が一番危ない

社長の退職タイミングは、思い通りにはいかないことが多いものです。体調の変化、事業の転機、後継者の状況——さまざまな事情で、想定より早く退職を決断するケースは珍しくありません。

「うちはまだ先の話だから」と思っているうちに準備のないまま退職時期を迎え、あとから大きな税負担を抱える——そういう事案を、私は何度か目にしてきました。

退職金規程の整備と功績倍率の根拠づくりは、今期中に税理士と一緒に着手しておくことをおすすめします。将来の大きなリスクを、今の小さなコストで抑えることができます。

※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。