「そろそろ会社を売ろうかと思っているんですが、何か準備することありますか?」

先日、製造業を営む60代の社長からこんな相談を受けました。長年かけて育ててきた会社を、後継者不在のまま売却しようと考えているとのこと。

ところが話を聞いていると、準備どころかM&Aの価格がどう決まるかすら知らない状態で、すでに仲介業者と接触していたんです。正直、ひやりとしました。この状態で売りに出てしまうと、数千万円単位で損をする可能性があるからです。

売却価格は「EBITDA」という数字で決まる

M&Aで会社の売却価格を算出するとき、最もよく使われる指標が「EBITDA(イービットダー)」です。利払い・税引き前の利益に減価償却を加えた、いわば会社の「純粋な稼ぐ力」を示す数字です。

売却価格の相場は、このEBITDAの5〜8倍。EBITDAが2,000万円の会社なら、売却価格は1億〜1.6億円の範囲に収まることが多い。逆に言えば、EBITDAを1,000万円増やすだけで、売却価格が最大8,000万円上がる計算になります。

この仕組みを知っているかどうかだけで、手取り額が大きく変わってきます。

準備①:役員報酬を売却前に「戦略的に」見直す

多くのオーナー社長は、節税のために役員報酬を高めに設定しています。これは普段の節税策としては正解ですが、売却を考えるなら話が変わってきます。

役員報酬は費用として計上されるため、利益を圧縮します。EBITDAを計算するとき、役員報酬が高いほど「稼ぐ力」が低く見られてしまうんです。

たとえば年間3,000万円の役員報酬を受け取っているとします。このうち1,000万円を削減して会社の利益に戻せば、EBITDAが1,000万円増えます。倍率8倍で計算すると、売却価格が8,000万円上がる可能性がある。もちろん個人の手取りは減りますから単純比較はできませんが、売却前の2〜3期は戦略的に調整して、EBITDAを最大化しておくことを検討する価値は十分あります。

この調整は決算をまたいで効果が出るため、「売ろうかな」と思い始めたら早めに動き出すことが大切です。

準備②:簿外債務と不良資産を徹底的に整理する

売却価格を上げることと同じくらい重要なのが、「価格を下げる要因を除く」ことです。

M&Aの買い手は必ず「デューデリジェンス(DD)」と呼ばれる財務調査を行います。ここで簿外債務(帳簿に載っていない負債)や不良資産(回収見込みのない売掛金、使っていない固定資産)が発覚すると、その分だけ売却価格が引き下げられます。

よくあるのが、「昔の取引先への未払い金が残っていた」「減価償却が終わっているのに使っていない設備がまだ資産計上されている」といったケース。これらは事前に整理しておくだけで、DDでの指摘を大幅に減らせます。買い手に「この会社はきれいだ」と思わせることが、価格交渉でも有利に働きます。

準備③:「株式譲渡」と「事業譲渡」の税負担の差を知る

会社を売るとき、大きく分けて「株式譲渡」と「事業譲渡」という2つの方法があります。この選択が、手取り額に大きく影響します。

株式譲渡の場合、売却益にかかる税率は20.315%(所得税・住民税・復興特別所得税の合計)。申告分離課税なので、利益がいくら大きくなっても税率は変わりません。一方、事業譲渡は法人税と個人への配当で二重課税になるケースが多く、実質的な税負担が35〜40%以上になることもあります。

仮に売却益が1億円だとすると、株式譲渡なら税金は約2,030万円。事業譲渡で40%課税されると4,000万円。この差がおよそ2,000万円になります。ただし株式譲渡を選ぶには株主構成が整理されていることが前提です。複数の株主がいたり、株主名簿が整備されていなかったりする場合は、早めに手を打っておきましょう。

動き出すなら「2〜3年前」がベスト

今回紹介した3つの準備——EBITDAの最大化、リスク除去、譲渡方法の選択——は、いずれも直前に慌ててやれるものではありません。役員報酬の調整は決算2〜3期分が評価対象になりますし、不良資産の整理にも時間がかかります。

「60代になったら考える」ではなく、「50代のうちから準備しておく」くらいの感覚が現実的です。今すぐ売却を考えていなくても、EBITDAを意識した経営は会社そのものを強くします。売らないとしても、損することは何もありません。

まずはM&Aに精通した税理士に一度相談して、自社の「現在の売却価値」を把握しておくことをおすすめします。

※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。