先日、60代の製造業経営者からこんな相談を受けました。
「数年前に税負担を減らしたくて役員報酬をゼロにしたんですが、そろそろ引退を考えたら、退職金がほとんど出ないと言われて……」
話を聞けば聞くほど、典型的な「節税のつもりが大損」のパターンでした。今日はこの実例をもとに、役員報酬ゼロ円という選択が持つ本当のリスクをお伝えしたいと思います。
確かに法人税は減った。でも、その先は?
田中社長(仮名)が役員報酬をゼロに設定した理由は明快でした。報酬を受け取れば個人の所得税・住民税がかかる。会社に利益を残せば法人税がかかる。ならば報酬をゼロにして法人の利益も圧縮すれば、どちらの税負担も下がるのではないか、という発想です。
確かに短期的には効果があります。役員報酬は損金に算入できるため、報酬を出すことで法人の課税所得を下げられますが、報酬ゼロなら個人側の所得税もかからない。一見「二重にトクをした」ように見えます。
ところが、これには深刻な落とし穴が二つ隠れていました。
落とし穴① 厚生年金が積み上がらない
役員報酬がゼロになると、社会保険料の会社負担・個人負担がともになくなります。これを「負担が消えてラッキー」と捉える方もいますが、裏を返せば厚生年金の受給額も積み上がらないということです。
現役時代に厚生年金保険料を納めていれば、老後の受給額に反映されます。報酬ゼロの期間はその積み上げがストップするため、将来もらえる年金が目に見えて減ります。社会保険料の節約と引き換えに、老後の収入源を削っていたわけです。
落とし穴② 退職金の計算式が「ゼロ×何か=ゼロ」になる
こちらのほうが、田中社長にとってはより深刻な問題でした。
役員退職金は一般的に、次の計算式で算出されます。
最終報酬月額 × 在任年数 × 功績倍率
ここで「最終報酬月額」がゼロだった場合、何年在任していようと、どれだけ会社に貢献していようと、答えはゼロになります。数学の話ではなく、税務・実務上の話として、これが現実です。
田中社長が描いていた退職金の見込み額は約3,000万円。それが報酬ゼロの期間を挟んだことで、大幅に目減りする計算になってしまいました。退職所得は税制上かなり優遇されているため、退職金として受け取ることには大きな節税メリットがあります。それをみずから潰してしまっていたのです。
「出口」から逆算しないと、設計は崩れる
報酬設計で最もよくある失敗は、目先の税負担だけを見て、数年後の出口戦略を考えていないことです。
役員報酬は単なる「給与」ではありません。退職金の基準になり、社会保険の受給額に影響し、生命保険の加入限度額にも関係してきます。さらに言えば、金融機関が融資審査をする際に個人の収入として見る数字でもあります。
「今期の税金をいくら減らせるか」という視点だけで設定すると、5年後・10年後に大きなしっぺ返しが来ることがあります。田中社長のケースはその典型例でした。
では、どう設計すればよかったのか
一般的な考え方として、役員報酬はゼロにするのではなく、退職金の逆算に耐えられる水準を最低限キープしながら、余剰分は別の方法で圧縮するのがセオリーです。
たとえば、法人契約の生命保険を活用したり、役員借入金を活用したり、小規模企業共済に加入したりと、報酬以外にも打ち手はあります。報酬額を無理にゼロまで下げなくても、節税の余地は十分にあるのです。
また、仮に事業が赤字続きで本当に報酬を出せない状況であれば、せめて引退の2〜3年前には報酬水準を適切な金額に戻しておく必要があります。ただし「直前だけ急に上げた」という場合、税務調査で問題になるケースもあるため、計画的な移行が求められます。
専門家に相談するなら「今」がベスト
報酬設計の見直しは、引退が近づいてからでは手遅れになることがあります。理想は退職予定の5年以上前から逆算して考え始めること。そのためには、顧問税理士や社労士と一緒に「出口から逆算したキャッシュフロー設計」を作っておくことが大切です。
もし今の報酬設定が「なんとなく決めたまま数年が経っている」という状態なら、ぜひ一度、専門家に現状を整理してもらうことをおすすめします。田中社長のように、気づいたときには手遅れ――という事態を避けるために、動くなら早いほうがいいです。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。